HOMEコラム・レポート > 誰もいない森で倒れた木は、音を出したか?

誰もいない森で倒れた木は、音を出したか?

  • コミュニケーション

コラム :学びの探求


「もし今、私たちの知らない遠く離れた地の誰も居ない森で、一本の木が倒れたとします。 

その際に、その木は“音を出して”倒れたのでしょうか。」

アイルランド国教会のジョージ・バークリー主教(1685~1753)は、ある日こんなことを人々に投げかけました。──皆さんでしたら、この問いにどう応えるでしょうか。
 
 

普通に考えれば、「木は“音を出して”倒れた」という答えが返ってきますよね。
 
 

ですが、バークリー主教だけでなく、少なくない数の哲学者や心理学者は、この問いに対して「木は “音を出していない” 」と答えます。さて、それはどういうことでしょうか。
 
 
 
 

キーワードは、「認知」という言葉です。 
誰も居ない森では、倒れた木の音について、だれも認知することはできません。
 
 

そして、バークリー主教は「(それが)存在するということは、(誰かがそれを)認知をすることである」という言葉を残しました。つまりは、「存在は、認知があって初めて成り立つ」ということなのでしょう。 
なんとなく分からなくもありませんが、少し難しい表現ですよね。
 
 
 
 

──ということで、今回は、「認知」と「存在すること」について、お話していきたいと思います。
 
 
 
 

    

1) 私たちは皆、世界を認知していく「観察者」でもある

続いて、もう一つの問いを投げかけたいと思います。
 
 

月に到着した宇宙飛行士は、月面での観測や調査にバギーという乗り物を使って移動します。
 
 

さて、このバギーを運転している際に、タイヤが地面を擦っていく音は出るのでしょうか。
 
 
 
 

──この答えは、「NO(音は出ない)」です。
 
 

月面で乗り物に乗っていても、その音は出ません。つまり、無音です。
 
 

なぜ音がしないかというと、月には振動する空気が無いからです。
 
 

音は、振動する空気を伝って、私たちの耳に届きます。空気自体の無い月面世界では、私たちは音を聴くことが出来ない──というより、音が無いのです。
 
 
 
 

ここで一度振り返ってみましょう。
 
 

冒頭の「誰もいない森で倒れた木の音」について、「音はしなかった」と言う人がいます。そして、「月面での乗り物の運転」においても「音は出ない」。
 
この2つのシチュエーションは「音は出ない」という点では共通していますが、もうひとつ、意識しておきたい点があります。
 
 

──それは、「観察者」(その場にいて、音を認知できる人)の有無です。 
 
 
 

つまり、「音が出るか出ないか」は、それについて確認できる人がいない限りは判断(認知)が出来ないのです。 
 

このことは、音だけでなく、世の中のすべての「存在」を確認する際に当てはまるでしょう。
 
 

冒頭で言った、バークリー主教の「(それが)存在するということは、(誰かがそれを)認知をすることである」も、そのことを端的に言い表しています。
 
 
 
 

人々は、「合意的現実」の元に、存在や事実を確認する

「それが存在するのは、それを信じる人がいるからだ」──心理学者フロイト(1856~1939)が言った科白です。
 
 

例えば古代人は「偶像に神が宿る(存在する)」と考え、ある時代においては「錬金術はある(存在する)」と信じました。
 
 

現代では「偶像に神が宿る」であったり、「錬金術はある」と考える人は殆どいません。 
ですが、その当時の人たちからすれば、それらは「現実」(存在している)以外のなにものでもありませんでした。
 
 

このように、人々がその存在を信じる(認知する)ことによってそれが現実とみなされることを、「合意的現実」と言います。※「心的現実」と表現されることもあります。
 
 

そして、その「合意的現実」は時代とともに変化してきました。
 
 

「合意的現実が変化していくこと」については、身近な例で言うと「腐敗臭(腐った匂い)」についても、そのことを確認することが出来ます。
 
 

腐敗臭は私たちにとって、また現代の世界中の文献(小説などの物語)においても「忌むべきもの」、「除去すべきもの」として扱われます。
 
ですが、ある一定の時期より過去にさかのぼると「腐敗臭」についてマイナスな表記をする文献の数は驚くほど少なくなります。それより以前の時期においては、腐った匂いは人々から疎まれるものではなく、「自然的な状態」として扱われているのです。
 
──そして、その「腐敗臭」に対する認知が変化した「時期」は、世界各国でペスト(黒死病)が蔓延した時代と重なります。
 
 

当時、ペストが排泄物や屍肉を媒体として伝染することを理解した人々は、腐敗臭を「悪しきもの、忌むべきもの」と扱い始めました。そしてそこで培われた思想や概念が、ペストが撲滅された今でも、「腐敗臭」に対する認知として色濃く残っているのです。
 
 

このことは、現代において私たちが認識している世界自体も、未来に向けて私たちの「認知」が変化していくであろうことを示唆しています。
 
実際、近年では「加齢臭」であったり「スメル・ハラスメント」といった新語が登場し、匂いに対する認知はまた一段と変化してきています。
 
 
 
 

つまりは、その「存在」は元からある訳ではなく、私たちがそれを意識(認知)していくことによって、特徴や概念が次第に形成されていく──といったところでしょうか。
 
 
 
 

    

2)人は、対象を「観たいように」しか観れない

ここまでお読みになられて、「存在や事実が、人の認知の上に成り立つのだとしたら、とても不確かなものではないか」と思われた方もいらっしゃることでしょう。
 
 

実際、人々が信じている存在や事実で、「不確か」と見えるものは少なくありません。
 
 

一つ、例を持って説明していきたいと思います。
 
 

1960年代、ダグラス・マクレガーは、「人の性質」についてX理論、Y理論という2つの対極する特徴を提唱しました。 
 
 
 

マクレガーのX理論・Y理論

 
X理論:人間は本来なまけたがる生き物で、責任をとりたがらず、放っておくと仕事をしなくなる
 
Y理論:人は本来働きたがる生き物で、意欲的な性質を持ち、仕事にも自発的、自律的に行動できるものだ
 

このX理論とY理論、どちらが真実(事実)なのでしょうか。
 
 

マクレガー自身も、この問題について何度も検証を重ね、そしてある重要な見解に達成しました。
 
 

それは、「X理論とY理論、どちらも正しい」ということです。
 
 

どういうことかというと、例えばX理論を信じる人は、相手を不審な目で見て、そして「思った通りだ」と思えるような出来事を見つけ出しそれを重要視します。
 
逆にY理論を信じる人は、人に対して「信頼しよう」と接していくので相手との信頼関係が育まれやすく、結果、そこで育まれる相手の意欲や自発性に、自然と注目していかれることになります。
 
そして、X理論を信じる人、Y理論を信じる人どちらも「自分の立てた前提が正しい」と認知する(「合意的現実」として認識する)のです。
 
 
 

──さて、それぞれの人がそれぞれの認知と共に存在や事実が形成されてしまうとしたら、もう「存在」や「事実」という言葉の信頼性自体が危うくなりそうです。
 
 

存在や事実が本当に不確かなものだとしたら、私たちは何を拠り所にしていくと良いのでしょうか。
 
 
 

    

3) 認知が変われば、世界も変わる

前章で、「存在や事実には不確かさがある」と述べました。
 
 

たしかに、不確かさは私たちに不安や、ときに苛立ちを感じさせることもあるでしょう。
 
 

ですが、「不確かだ」ということは、逆の見方をすればその対象について「より良い見かた」を探求していく余地があるともいえます。
 
 

例えば、ある人にとって目の前にある世界が、非常に理不尽で色あせた詰まらないものであったとしても、その人の認知が変容していくことによって、その世界の在り方も変わってくるのです。
 
 

現に、マクレガーの提唱したX・Y理論の考えは、その後多くの研究者たちが引継ぎ、更にはその理論の脆弱性を補うかのように更に昇華された理論が登場していきました。 
 
 
 

認知が変われば、その対象の存在の在り方、捉え方が変わり、そしてそれらを形成する外界(世界)の見方も変わっていく──ということですね。 
 
 
 

    

認知をより良いものに変化させていく為に

では、より良い世界を感じられるようになるために、そしてその為に認知を変えていく(広げていく)ために、私たちはどんなことを意識していくと良いでしょうか。
 
 

この問いの解は大きく二つあります。
 
ひとつは、「観察者」として、認知の探求を続けていくこと。
 
もうひとつは、他者の認知を感じていくことです。
 
 

私たち人間は、本能的に「世の中を理解しよう」という意識(観察者としての働きかけ)を持ちます。
 
 

その意識が低減してしまうと、認知は変わることなく、世界は段々と色あせていき、「何も変わらない、無機質なもの」になってしまうことでしょう。 
 
 
 

そのようにならない為に、私たちは自身の外界を常に「観察者」の視点をもって、接していくことがとても大切なのです。 
 
 
 

一方、人の「認知」の持ち方は非常に様々です。
 
 
誰もが自身の認知を元に「合意的現実」を創り上げていきますが、その現実の姿は人によって若干、ときに大きく異なっていきます。
 
 

その「認知のギャップ」は、ときに摩擦とともに不安や不快感を起こしてしまうこともあるかもしれません。
 
ですが、そもそもそのギャップがなぜ「存在」するのかというと、それこそ「人々の認知の変化、広がり」を促していく為にあるのではないでしょうか。
 
 

つまりは、人は他者の認知を感じ、そのギャップを感じることで、自身の認知を変化、昇華させていくことができる。──そう考えると、「自分と考え方がまったく違う」と思っていたあの人とも、コミュニケーションを取ってみようという気になりやすくなるかもしれませんね。 
 
 
 

「認知が変われば、世界も変わる」。そして、私たちの認知は、互いに影響し作用しあうものです。
 
 

今の世界が、これまでの人々の認知の集成で形成されてきたのだとしたら、これからの世界をより良くしていく為に、一度私たち自身の「認知の状態」について振り返ることも、とても大切なことでなのでしょう。 
 
 
 


コミュニケーションの体験セミナーのご案内

アーティエンスでは、社員教育・研修をご検討の経営者様・人事ご担当者様向けに体験型の公開セミナーを実施しております。ご興味のある方は是非お問い合わせください。

パーソナリティ・ベース・リーダーシップ研修 無料

@渋谷(渋谷駅より徒歩10分):2019/7/23(火)9:00~18:00
  • ビジネススキル
  • コミュニケーション
  • リーダー

特定の個人だけがリーダーシップを発揮するのではなく、 チームメンバーのそれぞれが、自身の強みをベースに リーダーシップを発揮する 「パーソナリティ・ベース・リーダーシップ」という考え方が今、注目されています。 本セミナーではまず、誰でもリーダーシップを発揮できるという考えのもと、あなたならではのリーダーシップのあり方、 パーソナリティ・ベース・リーダーシップを探求していただきます。 そして誰か一人がリーダーシップを執るのではなく、 「それぞれの強み・特性をベースとしたリーダーシップを、皆で掛け合わせていく」という、 新しい形の働き方をワークを実践し、現場での自信/活躍に繋げていただきます。

2年目社員フォロー研修

渋谷:(1日目)2019年 7月 19 日(金)9:00~18:00
  • ビジネススキル
  • コミュニケーション
  • 組織開発支援

2年目若手社員が自身の現状把握(メタ認知)を行い、自分の強みと課題を浮き彫りにし、「主体性を育み、行動を強化する」ことを強力にサポートする研修です。 日々の業務に対して、オーナーシップを持つための意識醸成を行います。自らがどうありたいかを考え、その上でどのように成長してきたか、成長していくかを考えます。そして、会社にどのように貢献しているか・貢献していくかを考えます。

メルマガ登録受付中!無料セミナー・人事お役立ち情報を毎週お届け!

注目セミナーのご案内

「論語と算盤」に学ぶ経営者のあり方を探求するワークショップ

@渋谷アーティエンスオフィス(渋谷駅より徒歩10分):2019年7月21日(日)10:00~18:00
  • リーダー
  • マネジメント
  • 組織開発支援

「真の富は仁義道徳に基づかなければ、決して永続しない」 日本資本主義の父と言われ、『論語と算盤』の著者でもある 渋沢栄一の言葉です。 渋沢栄一は会社を経営するには人としての規範を守り、より利他的精神であることを説く「道徳」と、企業の繁栄と継続の基となる「利益」の両立が不可欠であり、どちらかが偏ってしまうと長期的な事業の継続は困難になると考えていました。 今回のワークショップでは、健全な会社経営を継続させるには、「道徳と算盤」が必要不可欠であるという考えのもと、健全経営を続けるための経営者としてのあり方を、講義と対話を通じて探求していただきます。参加者は対話を通じて、気づきと理解を深め、あなたならではの経営者としてのあり方、企業倫理と利益の両立について探求して頂きます。そして、経営者として、どのようなリーダーシップを発揮することで、素晴らしい会社経営が行えるかを問い続けます。

"誰もいない森で倒れた木は、音を出したか?"に関連するサービス

HOMEコラム・レポート > 誰もいない森で倒れた木は、音を出したか?