【9章 会社の顔】

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コラム :ある新入社員の成長記録
一年間の修業期間もあとわずか。
僕は例外的に配属された(らしい)人事部にまだいた。
結局、僕は残りの期間も人事部でお世話になることが決まっていた。
まだ戦力とは言えないけど、仕事にもだいぶ慣れたし、例のイベント対応から少し自信も出てきた…かも。
そんな人事での仕事は、このまま何事もなく平穏に終えられそうな気がしていた・・・
ほんのついさっきまでは・・・
遡ること20分前、隣の席の土田さんが、つぶやくまで・・・
「げぇ…まじかよ…」
思わず土田さんを見る僕。
メール画面を食い入るように見つめていた土田さんが、ゆっくりと顔を上げる。
土田さんと目が合う。
「ヤバい…」
いつも気さくでノリのいい土田さんが、辛うじて聞き取れるくらいので小声でささやく。
「…え?」
「内定者の瀬良って覚えてる?」
「はい、確か、藤沢GMがすごいって…内定前提に社長面接を2週間くらい前倒したとかっていう学生ですよね?」
「そう…今から来たいって」
「へ?今から?会社に?何で?」
「…知らね」
「…それ、ヤバいんですか?」
「…いい話じゃないだろ」
「…いい話じゃない話って?」
「・・・・・」
「まさか、このタイミングで…内定辞退?」
「…あり得るね。とりあえず話聞かないとな」
「まじっすか…」
T大学の瀬良くんは、来年の新卒の中ではずば抜けた存在だった。
頭がよく、考えもしっかりしていて、意志も強い。それでいて協調性もあって、性格もいい。
しかも俗にいうかなりのイケメンで、内定式後の懇親会で瀬良くんを見た女性社員は、
翌日あちこちでザワザワしていたくらい。
つまり絵に描いたような、パーフェクトな学生ってこと。
夕方、そんな瀬良くんは、約束の3分前にオフィスへやってきた。
エントランスまで迎いに行くと、濃紺のスーツにきっちりとネクタイを締めてた彼が佇んでいた。
「こんにちは。突然すみません」
そう言った顔は明らかに緊張していて、それでいて強い意志を感じる精悍な表情だった。
僕は人事でも素人だけど、彼が重大な決心をして、そのことを伝えにきたことは一目瞭然だった。
内定辞退…リアルっぽい。
藤沢GMに同席を打診をしたところ、いきなり役員の同席は驚かせてしまう可能性があるので、
まずは話を聴いて「必要そうなら呼んで」とのことだった。
代わって。まずは僕が同席することに。
「内定式以来だね?元気してた?」
土田さんは、努めて明るく気さくな感じで切り出した。
「あ、はい…お、かげさま、で…」
土田さんとは対照的に、瀬良くんは頑なな感じだ。
どんなにしっかりしてるって言っても、やっぱりこういうところは学生何だなぁ…
場慣れしていないっていうか…僕はそんなどうでもいいことを考えていた。
「そっか、よかったよ…で、…今日はどうしたの?」
「はい…」
少し間を置いて、瀬良くんは意を決したように顔を上げた。
「あの、実は、内定を辞退させていただきたいと思ってます!ほんとに申し訳ありません!!」
きた…やっぱり…
テーブルを挟んで座っていた瀬良くんは、額がぶつかるほど深々と頭を下げていた。
そっと横目で土田さんを見ると、絶望と怒りが混じったような複雑な表情を見せていた。
「…ちょっと待ってよ…」
その声は低く、凄みがあった。
僕は、この時初めて土田さんをちょっと怖いと思った。
「当然ながらわかってると思うけど、この時期に内定辞退したいって言われてもねぇ…
(深いため息)君はうちのエース候補として、通常のプロセスを変更してまで採用した人なんだよ?
君、絶対にうちに来るって言ってたよね?」
「…はい」
「じゃあ、どうして?」
「・・・・・」
「どうしてって聞いてるんだけど!?」
土田さんの口調が強くなる。僕はちょっと焦った。
新卒採用の市場では、内定辞退者に対するパワハラのようなことが少なからずあって、
問題になっているって聞いたことがあったからだ。
ふぅぅ…深い息を吐いて、瀬良くんが再び顔を上げた。
「そうですね、理由は説明する義務がありますよね」
その顔は、改めて意を決したように精悍で、視線はまっすぐ土田さんを捉えていた。
「うん、聞きたいね」
土田さんも冷静さを取り戻したようで、そして瀬良くんに挑んでいるように見えた。
瀬良くんは、ゆっくりと経緯を話し出した。そしてその話は、ちょっと耳を疑うようなものだった。
「御社が第一志望だったことは、間違いありませんし、内定をいただいた時点では、御社に入ることを決意していました。
だから内定式も出ましたし、御社に早く入りたいとも思っていました。
でも、年末に状況が変わってしまって…レオ・フィールドは当然ご存じですよね?
私はイベント業界を希望していたので、レオ・フィールドも第2志望として受けていました。
レオ・フィールドのほうが先に内定をいただいたんですけど、御社に決まった後にお断りしました。
そしたら、向こうから採用条件の変更を打診されて…一度は断ったんですけど、
だから、御社の内定式に出たんですけど、その後も何度かご連絡をいただいていて…
年末にちょっと色々あって、家族で話し合った結果、やっぱりレオ・フィールドに行こうと決めました」
「な、に…それ…」
土田さんの声はかすれて、辛うじて聞き取れるくらいの声だった。それでいて、強い怒りを含んだ声だった。
僕は土田さんの横顔から目が離せなかった。
土田さんの怒りの対象が瀬良くんなのか、競合のレオなのか、分からなかった。
でも、いきなり瀬良くんの胸ぐらとか掴みかかったらどうしよう…
少し間があって、次に聞こえた土田さんの声は乾いていた。
「つまり…金でつられたってこと?」
カッと瀬良くんの目が見開かれた。初めてみる瀬良くんの顔だった。
瀬良くんはちゃんとした、しかもかなり優秀な学生だけに、プライドも持っているはず。
そんな瀬良くんにとって土田さんの言葉は、たぶんすごく屈辱的だと思う。
「・・・・・」
「だって、そうだよね!? それ以外の条件って何? 休日? 福利厚生?
まさかそんなんじゃないよね? つまり給与ってことでしょ?」
土田さんは畳みかけるように瀬良くんに迫った。
「・・・条件の詳細は申し上げられません」
「うちが第一志望だったのってさ、給与が高めの設定だったからってこと?」
「・・・どう思われても構いません」
「は?それでこっちが納得すると思ってんの!?」
土田さんの声が徐々に白熱してきた。
それに抵抗するように、瀬良くんの態度は硬化していくようだった。
マズイ…ちょっと誰か来てもらったほうがいいのかな…
「あの、土田さん!あの、藤沢GMにご同席いただいたほうが、よくないですか?」
僕の渾身の切り込み。
「・・・」
ジャケットのポケットから携帯を出した土田さんは、電話を掛け始めた。
「あ、おつかれさまです、土田です。今、瀬良さんとMTGルームにいるんですけど、
今からご同席いただくことって可能ですか?」
たぶん、この電話で藤沢GMは状況をすべて把握したはずだ。
藤沢GMが来るまでは、たぶんほんの2,3分だったはず。
なのに、重苦しい沈黙に包まれたMTGルームでは時間がやったら長く感じた。
コンコンコン。
藤沢GMが入室してきた。
ゆっくりと起立してお辞儀をした瀬良くんだったけど、藤沢GMと目を合わせようとはしなかった。
内定式で見た瀬良くんは、本当に藤沢GMをリスペクトしている、そんな印象だっただけに、
目を合わせない様子から、内定辞退は決定的なように思われた。
つづく
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